聖書から読む保育
文 文責:園長 新田隆幸
「生めよ。ふえよ。地を満たせ、地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」聖書
神様が創造された世界は、「神はそれを見て良しとされた。」とあるように、すべてが調和のとれた美しいものでした。しかし、人間の欲望がそれらを不調和なものに作り変えてしまったのです。結果長い年月を経なければ分からないのです。 成長過程の子どもたちは、大人と違って、神の創造された世界のすばらしさを感じる心がそのまま残されています。花のきれいさや育ちの不思議さに感動し、虫たちの営みに見とれ、表情にかわいらしさを発見し、飽きることなく見入っています。虫も草も小動物もすべて友だちなのです。この優しい心は決して失ってほしくないものです。
沖縄のある保育園の「お泊り保育」での紹介文です。
『沖縄島の北、ヤンバルと呼ばれる自然豊かな地域でいろいろな体験をします。珍しい虫、鳥、野の花を見つけ、海で泳ぎ、夜空の星、朝の澄み切った大空を眺め、自然の素晴らしさ、大きさ、強さを肌で感じ、同時に神さまの存在を感じ取っていきます。一日遊んで夕方、砂浜に座って海の音を聞きながら、真っ赤な太陽が海に沈む夕日を眺めていたら、一人の子がいきなり立ち上がって「神さま、きれいな太陽ありがとう!」と大きな声で叫びながら海に向かって手を振ったのです。また、それにつられてかもしれませんが、数人の子も立ち上がって「神さまってすてき~、神さま大好き~」と叫ぶ子が出て、更にある子は「神さま、ありがとうよ!」と、ちょっと上から目線の子もいたりして。・・・』
「・・・すべての生き物を支配せよ。」は決して奴隷的に勝手に扱えと言うことではなく、あるがまま、あるべき姿を護り保護していく様にと言う意味です。
幼子たちは生まれるときに神さまからこのことを託されてくるのかもしれません。そして、この自然への親しみや愛情を通して子どもたちは、自らの中に自然の中にある人間を含めたすべての生き物に対する優しさや思いやりの種をいっぱい満たしていくのです。この見えない子どもの心を奪ってはならないのです。
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「神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食べ物となる。』」~聖書~
夏は昆虫や虫に親しむ最適な季節です。各クラスにもカブトムシやザリガニ、メダカ、カタツムリなど子どもたちの"おともだち”がいっぱいです。カエルやダンゴ虫などであっても子どもの心豊かさを育む大事な環境です。是非たくさん触れさせてあげてください。今の時代、これらの環境が、どんどん破壊され絶滅していっています。
ある昆虫学者がこのように表現しておりました。「・・生態系は一つの大きなジェット機に例えられ、個々の生き物は一個一個のネジ。いくつネジ。いくつネジがなくなったら危ないかは誰にもわからないし、一度失われたネジ(生き物)を元に戻すすべはない。だからこそ、自然をどれだけそのまま未来に渡せるかが大事・・」と。
ゴミ虫もドロ虫も人間の都合だけで絶滅させてはならない物です。神の造られた自然の一部なのですから。
自然災害なども人間の勝手や傲慢さが引き起こした人災だともいわれます。
先の昆虫学者の言葉を借りれば、"その時”がいつかは誰にもわからないし、その時に何が起こるか誰にもわからないからです。起きて後悔しても遅いのです。
このようなことは子育てにも言えます。先日も病院の待合室で1歳くらいの子が余りにも動き回るため、親は携帯で何かの画像を見せて静かにさせていました。近くに座っていた女性は4歳の孫が、食事中も携帯画面から目を離さずご飯も一人で食べない、とこぼしながらも「孫はかわいい」と話しておりました。今から携帯依存症患者を育てるのか、と将来が心配になりました。みんながやっているから、成長したら・・・等と言っている間に人間は取り返しのつかないことをやってしまいます。
人間も自然の一部です。人間らしさを失わせてはなりません。今少しの我慢で神の造られた自然のままの美しさを未来へ残してやることができるのです。
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「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。」~聖書~
子どもにとっての「幸せ」とは何でしょうか。また大人が、社会が保障してあげなければならない幸せの条件は何でしょうか。
大きなテーマであり、諸説所論あるでしょうが、ただ子どものため、将来のためだと言い訳しての虐待だけはあってはならないことです。絶対効果などはありません。
私たちが「幸せ」のために大切にしていることは、「子ども時代」の保障です。子どもには「子ども時代」と言う、特別な時間が必要なのです。ドイツではルターが500年前にそのことに気付き、訴えていますが、残念なことに日本では未だにこのような考えが根付かず、子どもは大人の未熟なもの、早く大人の考えやルールを教え、小さな大人にすることが躾であり、教育だと思い違いしている向きが少なくないです。結果どの様に育つかとと言えば、自分に対して自信の持てない自己肯定感の低い青年になっていくのです。保育園にも危険を排するための規則やルールはあります。しかし、かなりの部分で自由を認めています。それは一人ひとりに「自分の居場所」を確保してあげるためです。「○○でなければならない」「××しなければならない」式の規則は作らないようにしています。そのことによって自分の存在を肯定でき、行動への自信と安心感を持って生活できるのです。自分が認められることによって、他者のことも認める心が育つのです。自分が否定されたら他者をも否定します。
否定から幸せに繋がることはないのです。幸せのために必要な4つの因子として①やってみよう。②ありがとう。③なんとかなる。④あなたらしく。この4つを保障してあげることが大事なのです。